大阪大学ワークショップ:『冷戦経験の同時代史 』 2017年3月

大阪大学WS201703-2

冷戦とは何だったのか:想像上の現実、ひとびとの日常戦争、社会的装置

益田 肇
シンガポール国立大学歴史学部

冷戦についてこれまで多くのことが語られてきた。何百冊という書物が世界中で書かれ、多く学派が形成され、さまざまな側面が議論されてきた。しかし、その多くがもっとも単純で、根本的な問題を正面に据えることはあまりなかった。そもそも冷戦とは何だったのか。この問いが提起されてこなかったのは、その答えがあまりに自明で当然のことと思われてきたからだ。冷戦とは何か。それは米国とソ連の対立に端を発する20世紀後半の世界的対立構造であり、まずヨーロッパで始まり、ついでアジア、アフリカ、ラテンアメリカに広がり、ついには世界を二分するに至った世界的な対立状況だった、と。その起源として言及されるのは、ハリー・S・トルーマン、ジョセフ・スターリン、ウィンストン・チャーチルなどいわゆる歴史の立役者とされる政治指導者の外交戦略や駆け引きだ。しかしこうしたわかりやすいストーリーは、冷戦に対する理解を深めるためにはあまり役に立たないし、ましてや今日の世界を考えるための助けにもならない。冷戦が集結したとされて既に四半世紀が経つ。冷戦政治をめぐるかつてのイデオロギー的な異常なまでの興奮はもはや過去のものになった。いまこそ冷戦史観というレンズを外して、その冷戦と呼ばれる現象が何だったのか、その今日的意義は何なのか考えなおす時期にきている。
 
これまでの冷戦史研究の最大の問題は、一定の枠組みを前提にした学者間の役割分担だ。外交史家は冷戦の起源やその形成プロセスを明らかにしようと政治指導者たちの動機や行為、性格などを調査することに集中してきたし、文化史家や社会史家は、冷戦が当時の社会や文化、人びとの生活にどういった影響を与えたかという点に関心を注いできた。また日本史やアジア史専門家は、冷戦がそれぞれの社会や文化、政治にどのような影響を与えたかという観点から研究を進めてきた。そうした研究の蓄積を前に多くの人はこう思うかもしれない。政治指導者たちの行為が冷戦を作りあげ、その結果、それは当時の文化や社会、人びとの生活に大きな影響を与えた。そしてアジア、また日本は、その世界的な冷戦構造の影響から免れ得なかった、と。しかしこうした見方には二つの問題がある。まずこのような見方を続ける限り、文化や社会、人びとの生活は常に受け身の存在として見なされることになり、その逆の可能性、つまりそれらが政治を規定し、冷戦世界を作り上げたかもしれない可能性には想像力が及ばない。またアジアや日本が世界的構造の「受領者」としてのみ描かれる限り、それらがどのように冷戦構造形成に同時的に参画したかについても思考が及ばない。
 
この発表では、拙著Cold War Crucible: The Korean Conflict and the Postwar World (Harvard University Press, 2015)に基づきながら、こうした姿勢に疑問を呈し、冷戦と考えられている現象に対して新しい見方を提示することを意図している。またそうすることで日本の戦後経験を再考したい。結論から言うと、同書は冷戦を大国間の確執から生じた単なる国際状況としてではなく、むしろ無数の人びとの日常的な行為によって構築された「想像上の現実」として描いている。ゆえに主要な関心は、どのようにして冷戦の「現実」が定着したのか、世界中の多くの人びとがなぜそれを信じたのか、またそうした冷戦世界がなぜとりわけ朝鮮戦争期に確立したのかを探ることにある。ここではまず朝鮮戦争勃発のニュースがどのように世界中で受け止められたか、またそれがどのように第三次世界大戦への恐怖を引き起こし、冷戦をめぐる言説に現実味を帯びさせたかを明らかにする。ここでは世界各地の朝鮮戦争勃発への反応と各地での冷戦の現実味の濃淡を概観することで、 冷戦という「現実」が米ソ超大国の対立から自動的に生まれた戦後の世界情勢だったというよりは、各地におけるそれぞれの歴史的な体験に基づいて形作られた想像上の現実だったと指摘している。特に第二次大戦の経験の有無と、冷戦世界の構築との間の密接な関係を論じる。
 
大阪大学WS201703-3それではなぜそうした冷戦の「現実」が定着したのか。この疑問を探るためには、人びとの参加とそうした現実の社会的作用を考えないわけにはいかない。そこでここでは朝鮮戦争期に世界各地で同時発生したさまざまな社会的粛清運動に焦点を当てたい。とくにレッドパージ(日本)、白色恐怖(台湾)、鎮圧反革命運動(中国)、非フィリピン活動取締り(フィリピン)、マッカーシズム(米国) を取り上げる。これらの現象はこれまで冷戦観確定後の視点から観察されることが多く、しばしば世界的な冷戦構造のローカルな結果として捉えられてきた。ゆえに多くが政治史の一環として扱われてきた。しかしここではむしろそれぞれの社会における文脈に即して、いわば社会的見地から再解釈を試みたい。そのため以下のような問いを掲げる。これらの事象において、誰が何のために誰を粛清したのか。これらの粛清運動と冷戦はどのような関係にあったのだろうか。冷戦というレンズを外してこれらを観察した場合、いったいどのような対立や分断がそこにあったのか。こうした問いを立てることで、これらの粛清現象のいくつかの共通項と同時性——例えば、東西冷戦対立の言説がそれぞれの社会において戦後噴出したさまざまな異論や不和を封じ込めた点や、またそれによってその後一定期間続くことになる社会秩序と社会的現実を作り上げた点などを指摘する。
 
例えば、戦後日本におけるレッドパージは、そのネーミングが示すように、当時から今日まで冷戦というレンズを通して見られてきた。しかし個々の事例をあたってみると、実際に排除されたのは、共産主義者やその同調者に限らず戦後に発言権を強めた労働組合員であったり、社会進出を果たした女性であったり、政治運動に参加しはじめた学生であったり、はたまた愛社精神に欠けるとか協調性に欠けると見なされた人びとだった。端的に言えば彼らは戦中・戦後を通して新たに台頭してきた新興勢力であり、戦後日本の社会やコミュニティ、また学校や会社で顕在化したさまざまな「トラブルメーカー」だった。こうした「反共」政治の名のもとに潜んでいたさまざまな社会的紛争や文化戦争に光を当てることで、いっぱんに「レッドパージ」と括られる現象の本質は、世界的な冷戦対立のローカルな発露というよりも、むしろ冷戦論理を梃子にして社会内の異論を沈黙させて秩序と平穏を取り戻すという社会的紛争であったことを指摘する。興味深いことに、同様の傾向は同時期に米国で吹き荒れたいわゆるマッカーシズムにも見られる。実際のところ、当時の「反共」政治で排除されたのは、アフリカン・アメリカン、市民権運動家、労働運動活動家、働く女性、移民、また同性愛者だったりした。彼らに共通するのは、いずれもが第二次世界大戦の経験を経て明らかになった米国社会の変化を体現していたことだ。こうした点に注目することで、これまで反共主義的な政治的抑圧とみられてきたマッカーシズムが、実のところ、人種対立や労働争議、ジェンダーをめぐる異論の噴出、移民問題など第二次世界大戦の経験に伴って噴出したさまざまな変動に対する社会的・文化的保守反動運動としての性質を持っていた点を指摘している。
 
このように見ることで、ここではレッドパージやマッカーシズムを冷戦下の特殊な状況ではなく、またそれぞれの社会のみの問題でもなく、むしろ歴史的な変動を経験していた世界各地の戦後社会、ポストコロニアル社会で同時発生していたグローバル現象の一環として捉え直している。こうした視点から言えることは、冷戦の本当の分断線は東西ブロック間ではなく、むしろそれぞれの社会内部に存在していたのではないか、そしてそうした各地の社会的分断を押さえ込み、戦中・戦後の経験を経て噴き出したさまざまな社会紛争や文化戦争を封じ込めるために東西冷戦の「現実」が世界的に必要とされつづけたのではないか、ということだ。つまり世界各地で吹き荒れた社会的粛清の嵐は、単なる世界的冷戦構造のローカルな結果ではなく、むしろ世界的冷戦という想像を必要とし、継続させたローカルな要因だったのではないだろうか。そうした「現実」は、必ずしもエリート保守層の主導で発展したものではなく、むしろ名もない無数の人びと——今日なら草の根保守とでも名付けられる人びと——の大衆的な参加を伴うことで初めて成り立っていた。このように冷戦レンズを取り外して社会的見地からの再検討を試みることで、この発表は、「冷戦」の見直しを図り、日本における戦後経験を同時代的、かつグローバル史的観点から読み直すことを意図している。

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